About me

はじめまして、デザイナーのSaya(@sayako.ai)です。

この度は当ホームページにご訪問いただき、ありがとうございます。
こちらのページでは、Sayaの自己紹介と当ホームページについてご紹介させていただきます。

自己紹介 < デザイナーになるまでの道のり

大阪府出身のグラフィックデザイナー。
インハウスデザイナーとして企業ブランディングや広報/企業プロモーション、デザイン関連の監修とチームディレクションを経験。

学生時代はインテリア学科に所属しており、建築事務所へ入社。CADオペレーターをしていました。入社当初は当然、建築図面のデータに触れさせてもらえるわけもなく役所へ提出する図面をただひたすら青焼きをする毎日。建築事務所はとてもハードで終電まで汗だくで機械を前に奮闘していた事を懐かしく思います。今思えば働きやすい世の中になりましたね笑

そんな建築事務所にて建物竣工前に“パース”という未来のイメージを作る仕事をされている方がいらっしゃった事がきっかけで、“イメージを形にする”という事に感激を覚えます。

所詮初心者、0からのデザイン人生

学生時代に初めてAdobe illustratorをさわって、使い方が分からないなりに楽しかった事を思い出します。そして建築事務所を入社1年で退職し、人生の方向性を切り替え、頂いたお給料をほぼ使ってパソコンスクールへ通います。

デザインをする上で基礎的なデザインソフトの使い方を学んだという感じです。
この頃は“デザインの仕事がしたい!”というより、ただ作る事が楽しかったので漠然と通っているという、いわゆるニート?笑

腕試しで始めた、POPデザインのアルバイト

いい加減バイトでもしないとと思って採用してもらったのが後に14年勤めることとなった前職場です。ちまたのお店に貼っている、いわゆる“POPをつくりませんか?”という内容でした。パソコンスクールに通っていたのでどうせ働くならデザインソフトを実務で使える環境がよかったので、腕試しのような気持ちでバイトを始めます。

大阪の田舎の方出身だった私は、配属された大阪の大都会、アメリカ村の小さなお店で怯えながらPOPを毎日作っていました笑 幸い環境や人との出会いに恵まれて、“POPを毎日綺麗に取り替えてくれるから助かる”“POPをかえて飛び込みのお客様が増えた”と社員の方に言って頂くようになり、デザインをして伝える楽しさを学びました。

そこから社員の方の為に、店舗を任されている店長の為に、エリアマネージャーの為に、売り上げ達成のほんの少しでも力になれたらと思い始めます。

3ヶ月で辞めるつもりだった

採用して頂いた当時は、繁忙期といわれる1月〜3月で雇用契約を解除されるはずでした。次に何をするかイメージできずにいた私でしたが、店舗展開に拍車がかかっていたという事もあり“新店舗を開店するから手伝ってほしい”と言われ、なんとなく続けることになります。ただ、デザインをする事で役に立っていると思える事がアルバイトながらやりがいでもありました。

そしてアメリカ村だけではなく、大阪のミナミエリアに展開されていた5店舗のPOPデザインを担当します。そんな頃、この会社は店舗を20店舗以上展開しているんだという事を知り、もっと多くのデザインに携わりたいと思うようになりました。

制作部門へ正式に入社

制作部門がある事を聞き、入社したいと店長へ伝えます。たくさんの営業社員の方と、いい関係性を築けていたこともあり、エリアマネージャーに推薦頂いてなんとか店舗を総括する本社に正式に入社します。

ここでは1店舗の売り上げを達成するというより、全店が達成できるように看板デザインや交通広告、販促物、コーポレートサイトの運営や新店舗の内装デザイン、時には企業ブランディングの一環としてイベントの運営なども担って、企業として集客の底上げをするという任務でした。もちろんWEBデザインの制作経験もなく、とにかくコツコツとすべてをこなす以外方法がなかったです。

そんな時、お客様を乗せる社用車のデザインコンペが社内で開催され、当時の上司にチャンスを頂き私も参加しました。プロと素人の加減が分からなかった私は、少々奇抜なデザインだったにも関わらず結果デザインを採用して頂く事となり、街中を自分がデザインした車が走るようになります。色々な感情を噛み締めながら、あらゆるジャンルの案件をこなします。

気づけばチームリーダー

知らないうちに10年以上キャリアを積んでいました。数名のデザイナーやコーダーを抱え、ディレクション業務を通して社員育成や管理監督業務を経験します。自分一人でなんとかしてきた頃と違って、チームで目標を達成することの難しさを学びます。

振り返って思うのは、“デザイナー”って自分でいつから名乗っていいものなのか、いつ私は“デザイナー”になったのか、よく分からないもんだなと思います。

ただ個人的にですが、好きなことを追求してひたすら研究して、自分でできる事が増えたと思えたら、みなさん“デザイナー”なんじゃないかと思います。

学生の頃、将来の夢ややりたい仕事がよく分からなかった私なのですが、気づけば夢中になれる職種に巡り合えた事に幸運だなと思う今日この頃です。

“デザインは言い値だ”と言われない社会になる事を願って、私もひたすら毎日模索してデザインをしています。ここまできて自分なりにひとつ分かっている事は、1pxでもずれると気になるデザイナーになった背景には、建築事務所で図面を触っていた経歴があるからだと思います。

設計図面が1pxでもズレていたら建物こわれちゃいますよね笑

30代で挑戦するコロナ後の留学

今まで記述してきた通り私の約14年間、止まる事なく情熱を注いできた職場をついに離れ2022年に留学する事を決めました。

世界中がパンデミックに陥った時、無情にも時間が過ぎていく中で人生は意外と短く、やりたいと思ってもどうしようもないことがあるんだということに気付かされます。

今までの当たり前に感謝すると共に、“やってもいいよ”という時を迎えられたらやりたい事にチャレンジしたいという気持ちになりました。

オンラインが進む現代において“留学”というものは過去の産物なのでしょうか??

色々な考え方があるかと思いますが、オンラインの時代だからこそ世界中と繋がれる準備がしたいと思いました。そして“英会話ができるデザイナー”になりたいという次の目標ができたのです。



間違いなくパワーアップできた留学経験

当時まだパンデミックの影響も残りつつ、やっとフライトが再開しだした2022年の秋に
カナダのバンクーバーへ留学しました。

勢いよく日本を飛び出したものの生活の基盤もままならず、
何もかもスムーズにいかないのが海外生活。
メンタルめちゃくちゃ鍛えられた笑

30代で一旦学生に戻り、慣れない街で朝の6時に起きて学校に通い、
語学勉強と海外圏のマーケティングやカスタマーリレーションシップについて学びます。

1年半バンクーバーに滞在したのですが、学校で学んだスキルの他に
多くのものを得ることができた、間違いなく行ってよかった経験だったと言えます。
円安の影響が強く、30代とは思えないほど貧乏生活でしたが…笑

日本にいては分からなかった日本のいいところ/ありがたみ、
また普段の生活では絶対にありえなかった
メキシコ/チリ/トルコ/フィリピン/タイ/コロンビアなどなど
多国籍な友達もできました。

そんな人たちに囲まれて世界中の文化・歴史・考え方などにふれ、
本当に刺激的な毎日でした。

もちろん学生さながらホームステイも経験し、
ホストファミリーとは今でもとてもいい関係で、
改めて日本に会いにきてくれた時はとても嬉しかったです。

海外↔︎日本での働き方

バンクーバーでは既にフリーランスとして日本からお仕事をもらっていて、
オンラインでデザインの仕事をしていました。

“場所を選ばない働き方”を次の目標にしていたのですが、
英語でのコミュニケーションができるようになれば
マーケットが広がるのでは…と考えました。

幸い実際にSNSを通じてアメリカからデザインのオファーをもらうなど
つたない英語力の割にはステップアップを実感します。

帰国後の働き方←いまここ

バンクーバーの学校も無事卒業し、帰国を検討していたところ
ある企業からオファーをいただきました。

いただいた業務内容はとても興味深いもので、
バンクーバーにいるにも関わらず契約を締結してくださり入社を決めました。

そして2024年にすべての任務を完了し日本へ帰国。
なんといってもやっぱり日本のご飯はおいしい!笑
コンビニ最高!

現在は本職に加え、バンクーバーの仕事も引き受けつつ、
日本の業務委託も複数こなせる理想の働き方を手に入れることに成功。

\ひとまず留学前の目標は達成です☻/

だいたいこんな人です

実務では › illustraor / photoshop / Figma をメイン使ってデザインします。

WEBサイトのコーディングは得意ではないと自分で認めるようになりました笑 とはいえ少しでもふれておくように今焦ってwordpressでこのブログを作っています。

Drone回転翼3級所持者

デザインをする上で重要度の高い写真や構図を考える事も好きです。空撮にロマンを感じてスクールに通い、ドローン操縦士の免許を取りました。DJI Phantomとsparkを所持していますが実践できていない今日このごろです。もっと腕を磨いてデザインに役立てたいと思っています。その裏側で墜落したらどうしようという気持ちも隠しきれません。

ただ名刺にドローンのワードを記載していると、名刺交換の時に大体の確率でつっこんでもらえるので、初対面のコミュニケーションには役立っています笑

GoProに世界をかえられた

GoPro独特の広角レンズに魅せられ、旅のお供に欠かせないアイテムとなりました。一緒に旅行した人には、もれなく想い出の写真や編集された旅の映像が納品されるのでご好評頂いています笑

about_choa01

旅行をすることが生きる上でのエネルギー

今まで数々の都市や国、国内を旅してきました。経験する事は人生を豊かにすると思います。日常から離れ、各都市のカルチャーから癒しやパワーを受け取る事ができるので旅をする事は私にとって生きる活力です。

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